討ち入り是か非か それが問題にて候

NHKBSプレミアムで、BS歴史館「あなたの知らない忠臣蔵」を観た。
番宣で見た佐藤条右衛門が記したという覚書に基づくリアルなエピソードを知りたいために録画したのだが、後半になると武士道とは何かというテーマが重要になっていき、すごく興味をひかれた。


江戸時代を通じて義士による討ち入りの是非をめぐっては論争が行われていたらしい。
なかでも津軽藩の乳井貢の批判があまりにも現代的で驚いた。「武士としての職分はなくなったが、人間としての職分はなくなったわけではない。家族を維持していく責務が残っていたはずだ。赤穂浪士たちは名を惜しむあまりに家族に対する職分を放棄した。」という、まぁ今の我々からすれば受け入れられる意見ではあるが、当時としては斬新すぎる視点だったんじゃないだろうか。知行俸禄をもらっている立場からすれば最大の背信行為であるし、軍事政権下で戦闘要員であるはずの武士が、主君よりも家族が大事です、なんて。そもそも名を惜しむのが武士たる所以なのでは?
悲惨な飢饉に繰り返し悩まされてきた津軽の風土とも関連してるんじゃないかという意見もあったが、番組ではその他の論争も含めて赤穂浪士を過度に持ちあげ過ぎる風潮に対して批判したかったんじゃないか、とまとめていた。


実は今、堺屋太一の「峠の群像」を読書中なのだ。
さすが元経済企画庁長官だけあって、当時の経済状況を克明に解説している。現代の国家予算とかを見てもピンとこないような経済音痴の私にしてみれば、少々マニアックすぎるんじゃないかってくらいに数字が羅列してあるときは正直端折りたくなるのだが、やはり経済という背景は、この赤穂浪士の事件に関しては省略できない重要なファクターだということは理解できる。
赤穂は商業都市大阪の近くに位置し、塩の製造と販売という商ルートを持つことで、おそらく商人の合理的な考え方も柔軟に受け入れていたのではないだろうか。しかし武士から見れば金銭に固執することは恥ずべきこと、商人は蔑むものという思想があった当時、矛盾する本音と建て前に苦悩する武士も多かったかもしれない。だから、言い換えれば経済が発達することによって武士の倫理観が研ぎすまれたんじゃないろうか。


明治時代に翻訳された忠臣蔵のタイトルは「LOYAL 47 RONIN」。武士にとって重要なことは忠義ではあるが、それ以上に大事なのは自発的-VOLUNTARY-である、と番組中で大学教授が言っていた。ルールだからとか、誰かに命令されたからとかではなく、自らの判断により正しく行動することが武士道の要であると。
本来戦って勝つことに重きを置いた武士の精神が、こんな美しい結晶となっていく過程を調べてみるのも面白いかもしれない。