憂き節や竹の子となる人の果て

京都の学習塾の方がNew York Timesの記事を翻訳してブログで公開してくださってます。

http://www.karasumamanabiya.jp/blog/blog_79.html
本文はこちら↓
http://kristof.blogs.nytimes.com/2011/03/11/sympathy-for-japan-and-admiration/


宇宙のスケールに対して人間がいかに小さいかを、言い訳することなく謙虚に受け入れることは「天罰」という発想とは別ものだと思うのです。
自らの行いを反省することは大事ですが、悪いことをしたから神(的なモノ)が怒ったというのは、考えれば自分中心すぎるのじゃないかと。


※3月17日追記

なんだかいろいろ考えすぎてしまって、↑ちと趣旨とは離れた文章でしたね^^;


大暴落した日本株も買戻しの動きがあるようです。
日本人ならきっと立派に立ち直るという信頼の現われじゃないでしょうか。
日本人に対する世界中からの「頑張れ!」のメッセージに見事にこたえてやろうじゃないか、と、非力なおばちゃんもムラムラしてしまったのでご紹介しました。