遣唐使

遣唐使 (岩波新書)

遣唐使 (岩波新書)

第2回の遣隋使のときの「日出づる国の天子云々」という国書の文言が同等外交を意味するという解釈は、実は単に東と西を示していただけで、優劣の意味はこめられてはいないんだそうな。
残念でしたね、ロー●ン閣下。ヾ(´□`‖)
現に、このときの国書では「致書(書を致す)」だったのが、第3回の時には「謹白(謹みてもうす)」と、露骨にへりくだった文章に改められていたらしい。
ま、強烈な華夷思想を持つ大国の周辺国としては最低限の外交辞令だったのだろうが。


選りすぐりのメンバーが、命をかけて海を渡り持ち帰った唐の文化・技術・知識は、日本文化を形成するうえで貪欲に吸収されたが、全てをそのまま受け入れるのではなく、日本風にアレンジしたり、必要ないものは削除するといった非常に応用力のある無駄のない取り入れ方で、驚くほどの速さで高度な唐風文化が形成されていった。
それと、表向きは唐に仕えるという形式をとっておきつつ、国内では唐を蕃夷とみなしていた形跡があるらしい。そこには地理的な条件や、国内で十分自給自足が可能であったこと等のファクターがあり、唐と一定の距離を保っていられたことが幸いしたという。緊迫した政治情勢にさらされることがなかったから、今もって日本の統治者に外交センスがないと言い切ってらっしゃる。
なるほどね。


今日の夕方のニュースで、長野の善光寺聖火リレーの出発地点となることを拒んだと聞いた。文化財の保護という理由もあるだろうが、仏教徒として受け入れてはならないという意見を容れたものだろう。
その仏教も、かの国から全面的に輸入されたもの。空海や最澄その他夥しい数の留学者が、情熱を持ってかの国で学んだ。そのかつての憧れの国には、もはや学ぶべきことは何一つないように見える。