江戸の声―話されていた言葉を聴く
- 作者: 鈴木丹士郎
- 出版社/メーカー: 教育出版
- 発売日: 2005/08
- メディア: 単行本
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話し言葉を文字として記録してある文献というのは、実は非常に少なくて、この本で再三取り上げられている式亭三馬の滑稽本「浮世風呂」くらいしかないらしい。
この貴重な資料等を元に、江戸時代の人々が実際どういう言葉を話していたのかを検証する。
江戸市中の町人でも裕福な家の娘は武家に奉公にあがり、上流階級の立ち居振る舞いを見につけるのがステータスとされていた。そこで覚えたハイソな言葉を多用したために姑に憎まれる嫁とか、裕福でないクラスの女たちが実に汚い言葉でののしりあうというシーンもあり、エネルギッシュな江戸市民の日常が垣間見えて、単純に面白く読んだ。
江戸時代の人々は、年齢、性別、身分によって話し言葉を使い分けていた。
自分と相手との相対的な関係により、一人称、二人称の驚くほどのバリエーションを使い分けていたのである。
正しい敬語や、言葉における性差というものが曖昧になってきている昨今、"分相応"というバランス感覚も心のどこかで大切にしていかなければと思う。
分相応といえば
自分のポジションや能力にふさわしいたたずまいであることが、"分相応"の定義だと思うが、大きく勘違いをしている多くの人がこのところニュースで報道されている。
「売り手よし、買い手よし、世の中よし」
の哲学は古臭いものではない。
世の中をまわす歯車の中枢に近いところにいる人こそ、謙虚でなければいけないと思う。
トップエリートこそ心の豊かさが必要なのだ。