草原の記

下の始祖鳥記のレビューで、オタクの原点云々と書いていて、ふと司馬遼太郎がそういう一つ事にこだわる性分というのは日本人にありがちだという文章を書いていたな、と思い出し本棚を探してみた。

あった、あった。

「私見をはさむと、日本文化は室町期も江戸期も好事家の文化であった。室町期では好事のことを数寄といい、江戸期では道楽といい、家をうしない身をほろぼすとされた。西行も芭蕉も本居宣長も富永仲基も山片蟠桃もなにごとかトクになるためにそれをやったのではなく、好事への傾斜につき動かされて生涯を了えた。この傾向は、アジアの他の地域にはあまり見られない。」

始祖鳥記の幸吉に強く惹かれ、その人生がうらやましいと思う私にも、その「道楽者」の血が濃く流れているのかもしれない。

あ、この本はソレが主題ではないので。
20世紀の激動のアジアを生きた一人のモンゴル人女性を理解しようとする著者が、モンゴルの蒼穹に思いを馳せつつ書いた紀行文。

司馬遼太郎もまた歴史と人間への興味への傾斜につき動かされて生涯を終えた「道楽物」の日本人の一人だな、と言ったら失礼ですかね。

草原の記 (新潮文庫)

草原の記 (新潮文庫)