天地人の旅 -南魚沼編-
大河ドラマのエンディングの「天地人紀行」を見ながら、義母と私で「行きたいね〜」「行きますかっ」ってな展開で簡単に決まった今回の日帰り旅行。
思えば義母と二人で遠出したのは、嫁いで21年にして初めてのことです。
まずは南魚沼市役所近くの愛・天地人博
ツマブキ君の等身大パネルの横で写真を撮り、ツマブキ君が着たという衣装の匂いを嗅ぎ(ヲイ)メーキングフィルムで素のツマブキ君の笑顔にニヤニヤし、義母と私テンションアップしちゃってお土産コーナーでつい買いすぎてしまいました。
次は銭淵公園と直江兼続公伝世館。
長尾政景がここで死んだかもしれないっていうところ。
魚野川の一部だったらしいけど、平成8年に改修されて池になっとります。
噴水はいらなくね?
どこでも誰にでも話しかけてしまうお義母さん。
いつの間にか伝世館の受付をしていた女性の身の上話まで聞いてます。w
次は坂戸城跡。
御館跡。
この石垣は会津に国替えになった景勝に代わって入部した堀秀治の家臣堀直竒が造ったもの。
景勝と兼続の生誕地の碑。
駐車場からこの辺りまでは歩いて5分もかからないけど、けっこう急な登り坂なので義母にはちょっとキツい。
「あたしゃここで待ってるから写真撮ってきな」
って言うから、ちょっと早足で駆け上り携帯で写真撮ろうと構えたら、いきなりファインダーにinしてくる義母。
カメラを向けると大きく手を振りピースサインまでする義母。
ちょっと今日は元気すぎやしませんか。^^;
もうとっくにお昼は過ぎてるけど、とにかく回れるだけ回りたいと言うので食事抜きで次の目的地へ。
雲洞庵。
この石畳の1石に1字ずつ法華経が刻まれていて、踏みしめて歩くとご利益がすごいんですって。
足蹴にするなんて・・・って思いがちだけど、禅宗はそれだけ寛容なんだと。
この雲洞庵、藤原北家の祖藤原房前の母がルーツなんですって。
房前が母の菩提を弔うために建立したのが始まりなんだとか。
南魚沼地方って藤原家の荘園があったんですねぇ。だから近在には縁の地名が多いらしい。
藤原氏が衰退したあと一時荒れてしまったけど、室町時代に関東管領上杉憲実によって曹洞宗のお寺として再建、上杉家の菩提寺となったそうです。
宝物殿には謙信の頭巾とかか数々の古文書とかお宝がふんだんにありましたが、坂戸城跡ではしゃぎすぎた義母がお疲れのようだったのでさくさくっと見学を終わらせ次の目的地へ向かいました。
関興寺です。
門をくぐって本堂に向かうにはやや急な階段を登らなきゃいかんのです。
これはもう義母には無理だなと思い、御朱印をもらい写真だけ撮る間待っててもらおうとしたのですが、朱印帳を探してる間にとことこと階段を上り始めた義母。
だ、大丈夫っすか??(゚ω゚ノ)ノ
案の定あと3段くらいのとこで手をついてへたり込んでしまいました。
しかし、根性で上がった甲斐があり、地味だけど清廉な空気の本堂にいたく感動しておりました。
若いけどなんだか徳のありげなお坊さんが接待してくれて、ありがたげなお話をしてくれて、思わず味噌をたくさん買っちゃった義母です。
そういえば、うちは曹洞宗なんだけど、お坊さんのこと「ほうじょうさん」って呼ぶんですよね。
「ほうじょうさん」は禅宗だけなのかなぁ?
ま、いいや。あとで調べよう。
ここで午後2時を回ってました。
朝トーストを1枚食べただけで何も口にしてなかったんですよね。
二人とも天地人のことしか頭になかったんで、食事場所までリサーチしてませんでしたし。
SAで食事をとることにして、塩沢石内ICから帰途に着くことにしました。
客がまったくいない赤城高原SA内のレストランでヒレカツ定食としょうが焼き定食をガツガツと食べ、帰宅したのが午後5時。
8時に出発して5時に帰宅。
フルタイムで働くおとうさんより短い時間で濃厚な観光をクリア。
素晴らしいでしょ?(笑)
「今度は春日山城に行こうか(´∀`)」
と、義母はすっかり自信がついたようで。
でも今度はJRにしましょうねぇ。