鎮守の森/いのちを守るドングリの森

鎮守の森 (新潮文庫)

鎮守の森 (新潮文庫)


いのちを守るドングリの森 (集英社新書)

いのちを守るドングリの森 (集英社新書)

いつだったか、鉱毒事件で知られる足尾銅山の不毛となった山を回復する活動のドキュメンタリー番組を見たことがある。
有毒ガスにより表土が流され、無残な姿をさらしていた山肌が、地元の主婦を中心とした緑化活動により徐々に再生されていく過程の記録映像だった。
まず植物の種を含んだ土を入れた袋のようなものを岩肌となった急斜面に固定し、表土がある程度回復してきたら樹木を植えるという方法だったと記憶している。番組の後半しか見てないので、そこに至るまでにあったであろう試行錯誤はわからないのだが。
長い年月をかけ、気の遠くなるような地道な作業を経て、ようやく森林らしきものが形成されかけてきているという段階だった。まだ本来の姿には程遠いにしても、林の中に横たわる動物の亡骸の映像と共に、森林を形成する生命のサイクルが機能し始めるまでに回復したと云うナレーションを聞いて感動したのを覚えている。


現在日本のほとんどを占める森林は材木を大量生産するために戦後造林した針葉樹の単植であるため、定期的に人の手を加えないと維持できない。しかし、自然にある森林ならば人の手を加えなくてもその姿は保たれ、病害虫や自然災害にも耐える力を持っている。
本来その土地にあるべき植生(潜在自然植生)に会った樹種を数種密植することで適度に淘汰され、本来なら数百年かかるところが数10年で極相林が作り出せるというのが宮脇理論である。
国内に残されている「鎮守の森」にその土地の潜在自然植生が見つかるという。
淘汰といっても弱肉強食的な殺伐としたものではなく、全ての種が生理的な欲求を満足させない状態を維持し、お互いが少しずつ我慢することでバランスを保つということらしい。
人間社会の理想でもある・・・なんて言うとちょっとイヤらしいかな。


私は特別日ごろから環境保護に興味があるわけでもなく、狭い庭や玄関先の植木鉢で気まぐれに花を育てる程度にしか植物に接してない人間だが、上記の番組や宮脇教授の活動の様子を垣間見て、少しでも何か自分も関わりたいなんて思ってしまった。
それは環境を破壊してきた人間としての反省とか使命感みたいなものではなく、単純に森林が再生されるプロセスを面白がってるだけなのかも知れない。しかしそういう感情もDNAにプログラミングされてることなのかもしれないなんて、ちょっと思った。
だって人間だって自然の一部だし。
ていうか私が単純なだけか。


私が住む市でも今月末に宮脇教授の指導の下での植樹祭が行われる。
ほんのわずかだけど苗代を寄付させてもらったので、このイベントに参加してみようと思っている。
微力だが私が植えた苗が地域の人々を物理的・精神的に守る「鎮守の森」として、数百年後も機能しているかもしれないと思うとワクワクしてくる。