送り盆

死んじゃって体がなくなったら同時に意識もなくなるって、私は信じている。
死後も生前の記憶を宿した"タマシイ"なんてのがそこら辺にうようよしてたんじゃ、たまったもんじゃない。
だから先祖の供養ってのは、今生きてる人間の心の問題なんだと思う。
我々の遺伝子に蓄積された膨大な経験と記憶に感謝するってのが先祖を敬う気持ちにつながってんじゃないだろうか。


ま、そんなヘ理屈をこねつつも、お盆に関する行事を昨日滞りなく終了した。
うちの地域では、ナスを馬に見立てて、それを持って迎えと送りをする家庭が多い。
お墓から家までのご先祖様の乗り物ってことらしい。


なすの馬
↑これ。


これ、意外とバランスよく作るの難しくて、今までお墓と家との往復中にまともに立った状態をキープして運んだことがない。
お盆の上で倒れるナスの馬を見つめつつ、ロデオのようにそれに必死にしがみつこうとするご先祖様のビジュアルを重ねて想像して、いつもにやりと笑う不届きな嫁は私。w



なんでナスなんかなーと、昨日ふと思った。
夏だし、水分少なくて扱いやすいからなんだろうけど。
昔々、子供が木の棒をなすにブスっと刺していたずらしてたのを誰かが見て、「馬!?これ使えるかも」とひらめいたに違いない。
まー、今じゃオールシーズンいろんな野菜があるから、なにもナスじゃなくてもいいような気がする。
大根とかね。
トロピカルにアボガトとか、マンゴーとか。
見栄はって高級メロンとか。w



いや、野菜じゃなくてもいいんじゃないだろうか。
で、最初に書いたことと矛盾するけど、私が霊になったらナスなんかに乗りたくないなー、と。
私が死んだらコレに乗せて家に連れて帰っておくれよ。>子供たち。






クラウドのフェンリル



もちろんクラウドのフォギュア付きでね。
彼にしがみついてキャーキャー言いながら帰ってくるから♪