ミーナの行進

ミーナの行進

ミーナの行進

この小説の主人公の朋子が伯母の家に預けられていた1972年から1973年、私も家の事情で親戚の家に預けられていた。小学校4年から5年だったから私は朋子より3つ下になる。
朋子とミーナが夢中になった『ミュンヘンへの道』という日本の男子バレーの選手が主人公になったアニメがあったことは薄っすらとしか覚えていないし、大古、横田、猫田という選手の名前は周りの大人たちが話していた会話でしか覚えていない。
でも同じ年代に同じような境遇にあったせいか、この小説を読んでるときの私は朋子とのシンクロ率120%ってとこだったかもしれない。
もちろん、私が預けられていたのは芦屋の豪邸ではなく質素な平屋の家だったし、いとこは喘息もちの聡明な美少女ではなくむさくるしい男たちだったし、伯父さんはミーナの父のような優雅な身のこなしをする美男子ではなく酔うと素っ裸で踊るような人だったし、ドイツ人のおばあさんや家事を完璧にこなす米田さんのようなお手伝いさんはいなかったけど。


読書に集中しつつも当時のことをいろいろ思い出してしまって、妙な感情移入で涙腺がおかしくなった。


私にもミーナのような存在があった。
クラスで一番の秀才でスポーツ万能のYさん。
彼女が転校してしてきたのが5年生の1学期。それまで仲良くしていたHちゃんが転校してしまって、入れ替わるように彼女がやってきた。
見るからに育ちのよさそうな品の良さとハキハキした態度に皆が憧れた。非の打ち所がなかった。皆が友達になりたかったし友達になったことを誇らしげに思っていた。
まぶしかった。
そんな彼女がなぜか私に接近してきて、私の事を一番の親友と言ってくれたことがいまだに理解できないでいる。


彼女の家は当時としてはかなりオシャレな洋風の家で、私にとって別世界の空間だった。
整頓されたリビングルーム、若々しく明るいお母さんがトレーに(お盆ではなくトレーね)飲み物とお菓子を用意してくれて、たまに早く帰ってきたお父さんが「やぁ、いらっしゃい」と子供部屋を覗き込む。ご両親は娘を"ちゃん"付けで呼び、Yさんはご両親を"パパ"、"ママ"と呼ぶ。
こんな身近にこんなドラマのような世界があったことに驚嘆したものだ。


彼女とどういう会話をしたのかどういう遊びをしたのかなぜか覚えてないのだが、彼女の感性や知的好奇心の旺盛さに心底惹きつけられていたのは確かだ。
知り合った頃には、毎日のように興奮気味に彼女の事ばかり伯母に話していたのを覚えている。
ともかく彼女の存在は私にちょっとしたセンセーションを巻き起こした。


そんなこんなのファクターがあって、ともかく読んでる間私は朋子になりきっていた。
芦屋の豪邸のたたずまいやカバのポチ子の体温やミーナの息遣いを身近に感じた。
そして私は小川洋子のファンであることを再確認した。