刀狩り

刀狩り―武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 (965))

刀狩り―武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 (965))


秀吉の刀狩り、明治維新後の廃刀令、そして第二次世界大戦後の占領軍による民間の武装解除を「3つの刀狩り」として、その内実を探ることで新たな日本の民衆像を検証する。


中世までの日本では、村民は治安維持のために武装し、自力で問題解決にあたっていた。その中で無秩序な暴力を回避するための暗黙のルールが生まれ、青年した男性のシンボルとしての刀を重要視する、武士道の原型ともいえる精神性は戦国以前では農民にも浸透していた。
現に秀吉の刀狩りが行われたあとも村々にはなお夥しい数の武器が保管されていたという。徳川の世になって引き継がれた刀狩りも、徹底的に村に残る武器を撤廃したという形跡はなかった。そこには、刀には神秘な心情がこめられていたということを踏まえたうえで、物理的な武装解除よりも、帯刀を許可制にすることによる徹底的な身分の色分けを最重要としていたことがうかがえる。


江戸時代を通じてかなりの頻度で行われたと思われる一揆を鎮圧するにあたり、農民が鋤や鍬などの農具以外の武器をもって蜂起した例はなく、また領主側が農民に向けて発砲などの攻撃を加えたという例も皆無だという。(幕末の動乱時には2、3の記録があるらしいが)日本国内の農村の津々浦々にまで武器が現存しているにもかかわらず、200年以上にもわたりそれを自ら「封印」し続けたのは奇跡に近い。支配者の権力による抑制のみならず、被支配者層も自発的に秩序を保とうと努力するメカニズムが働いていたといえる。


著者はあとがきで「一般市民のコンセンサスに支持されてきた歴史が、個人から国家のレベルにいたるまで崩壊に瀕している」という。現在の日本は過去の歴史上例を見ない特殊な状況におかれているから、国家レベルでのコンセンサスの崩壊(著者は憲法の改正を指している)という点では単純に語れない部分があると私は思うが、歴史の中で日本人が育んできた誇るべき高い精神性は崩壊させてはいけないと強く思った。