吉村昭

吉村昭

吉村昭

過度な演出が施されたドキュメンタリーほど不快なものはない。
忠実に事実を追いつつ、常に核心から目を離さず、訴えるべきことを的確に表現しているものが良質なドキュメンタリーと言えるのだと思う。
この単純に見えて難解な表現方法にこだわった作家が吉村昭である。

しかし、小説を書き始めた頃の吉村昭は史実を再現する文章を書くことは、自分の範疇外の仕事だと思っていた。
『事実の中には、小説はない。事実を作者の頭が濾過し抽象してこそ、そこに小説が生まれる』という信念を持っていた吉村氏だが、ひょんなきっかけで戦艦武蔵のことを書くことになる。39歳の吉村氏が煩悶の末に人生の大半を占めていた戦争について書くことを決心したときが、徹底的な取材で史実を追求するスタイルの始まりだった。

2006年7月に亡くなる時、自分の首の下に埋め込んであるカテーテルポートの針を自ら抜いたというのは有名な話である。
『生を享けた人間の義務として、肉体の許す限りあくまでも生きる努力を放棄すべきではない、とおもう』という吉村氏は、あくまでも自然死という条件のもとで「もう死ぬ」という境地に達したのだと思われる。
『死が刻々と間近に迫ってくるときを見定めていたかのようだ』と、妻の津村節子氏が書いている。
自らの死までをも冷静に真正面から見定めようとする姿勢が吉村昭らしいと思った。

しかし、そんな境地にまで至ったのには、大病を克服した経験と、彼の家族の死にまつわる経験が大きく横たわっていたことを恥ずかしながらこの本を読んで初めて知った。
祖父、祖母の死に次いで、がんに蝕まれ苦痛にもだえ苦しみ人格崩壊を起こして死んでいった母、1981年に同じくがんで死んだ弟。家族達の死とそれにまつわる壮絶な経験が吉村昭に厳格な死生観を植え付けたのかもしれない。

この本は、吉村昭の賛辞でも批判でもなく、吉村昭の生き様と作品の背景のみが克明に書かれているから余計に凄みを感じる。
川西政明はこの本を書くにあたって吉村昭の全作品を読破し、徹底的に資料を集め取材したという。彼もまたストイックな評論家である。